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【映画】「竜とそばかすの姫」「es[エス]」の共通点~閉鎖空間での治安維持【まじめな考察】

藤村さき
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2021年7月公開の「竜とそばかすの姫」を観て、以前見た映画「es[エス]」を思いだしました。

「竜とそばかすの姫」と「es[エス]」との共通点

ふたつの共通点は「閉鎖空間でエスカレートする治安維持」という点です。

「es」は看守役と囚人役に分かれて複数名で閉鎖空間に入り、行動を観察する社会実験を描いた映画です。

看守役は次第に囚人役を監視・管理し始めて、その行動はどんどんエスカレートしていきます。

関連記事→【映画】竜とそばかすの姫【感想・ネタバレあり】

※「es[エス]」はAmazonプライムなどの配信サービスでは配信されていません。

リメイク版の「プリズン・エクスペリメント(The Stanford Prison Experiment)」はAmazonプライムビデオでも視聴することができます。

権力を持つと人はエスカレートする

わたしは昔、とあるインターネット掲示板で書き込み削除などのボランティアをしていました。投稿者の不適切な書き込みを削除したり、場合によっては利用者サポートも行っていました。

大げさに言えばこれも「竜とそばかすの姫」に登場する「自警集団」のようなものです。

わたしがボランティアをやっていた理由は、荒れた書き込み(暴言や危険なリンク貼付け)が多かったので、ちょっとでもコミュニティを平和にしようと思ったからでした。

「竜とそばかすの姫」の「自警団」も、最初はきっと「自分たちのコミュニティを守る」という純粋な動機だったと思います。

でもそのための武器や権力を持って、それを使うことで望む平和なコミュニティをつくるという経験を積んでいくと、ちょっとでもずれた存在が出てくると気になりはじめて、淘汰しよう、持てる力をきちんと使わなければ、という意識が出てきてしまいます。

真面目で責任感が強いほど、自分に与えられた役割を果たそうとするし、完璧なコミュニティをつくるためにやりすぎてしまう、そんな風に思います。

映画「es[エス]」でも、支配する側と支配される側、自らの役割をきちんと果たそうとして暴走もしくは服従する人間の心理が描かれています。

与えられた役割や権力に人は支配されてしまう傾向がある、というのは忘れてはいけないことだと感じます。

「竜とそばかすの姫」の「自警団」はあり得る存在

「竜とそばかすの姫」では、「自警団」を称する人たちが「竜」を追い詰め、「ベル」の正体まで晒そうとしていました。

明らかにやりすぎに見えるんですが、自らのなかの「正義」を信じてそれを行使するための権力を持てば、人はきっとこれぐらいのことはやってしまう。そう思いました。

現実でも「悪なのだから」攻撃してかまわないと思う人たちはいる

現実の世界でも、大きな事件が起こると、犯人やその周囲に対して攻撃を加える人たちはあとをたちません。

ネットの情報を鵜呑みにして間違った情報を拡散したり、無関係の同姓の人たちに一方的な電話をかける人たちのニュースもしょっちゅう流れます。

「自警集団ジャスティス」はそうした心理の象徴そのものと言えますよね。

行き過ぎを防ぐためにはどうすべきか?

自分の行動を客観視すること、全体のバランスをみて判断すること、などが必要だと思いますが、「これだ」と断定することはできません。

というか、断定することがきっと危険ですよね?

色んな可能性を考えること、相手の考えを尊重することも大事ですし、自分を客観視するためには「比較対象」も必要です。

ただひとつ思うのは、自分のなかの世界が狭いほど、行き過ぎてしまうのではないでしょうか?

たまにはいつもと違う広い世界を見渡してみることも、必要なのかもしれません。

関連記事→【映画】竜とそばかすの姫【感想・ネタバレあり】

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